学生の自主映画制作をお手伝いする時、いくつかの山場があります。
その山場を乗り越えられないと、彼らは自主映画を完成させることは出来ない・・・もっと言うと制作を諦めることになるので、「ここが制作の分かれ道」というポイントなのです。
今回はその中でも制作初期・シノプシス制作段階における比較的誰もが経験する山場について書いてみようと思います。
自分の映画をなんとしても完成させたい、と言う方は参考にしてみて下さい。
1「せっかく思いついたシノプシス(あらすじ)がしっくりこなくなる」
授業でいくつかシノプシスのアイディアを出すところまではいけるのですが、問題はそこからです。
アイデアが時間に耐えられず、作者の中にアイディアを捨てる欲望が突きつけられます。
アイディアがプルプルと微動しているような状態です。
「微動シノプシス」は、ダメなのかというと実はそんなことはありません。
さらに新しい、別のアイディアで補完、補強し、より強いシノプシスに育てることが出来ます。
結果として、微動せずにスルリと生まれたシノプシスよりも強いものになることが殆どですね。
つまり、シノプシスがしっくりこない、と言う状態は、より良いシノプシスを作者に作るためのシノプシス側からの「訴え」なのです。
2「自分の思いついたシノプシスが嘘っぽい」
これはストイックな学生に多い症状。
作品の真実性にこだわろうとする学生で、多くは正義感の強い、繊細な学生が多いはずです。
書いたときは自分らしいアイディアだと思うのですが、だんだん自分が偽証罪を犯しているような感覚に囚われていきます。
でもこれは「作品が自分を育てる」と言う好ましい状況が始まっていることを意味していて、決して悲しむべきことではないのです。
このシノプシスを書かなければ彼は(彼女は)自分の心の中に曖昧に漂う自意識について検証できなかったのですから。
だから、これもチャンスと思って自分の無意識でついた嘘を徹底的に見つめるべきです。
思わず知らず、正直に自分に向き合うことができるかもしれません。もしそれができたら、次のアイディアはもっと純度の高いものが出てくるかもしれないのです。
純度が高まると、作品の力は必ず上がります。これについてはまた稿を改めますが、映画の素晴らしさは、技術的なことよりも、作者の純粋で強い思いにあることが殆どですから。
3「一つも思いつかない」
いくつかの問題は考えられますが、恐怖心が強い方や人の目を気にする相対的価値観の中で生きているような学生に見られる症状です。
家庭環境に問題があったり、高校時代に誰かに手ひどく怒られたようなトラウマを持っている人、肉親友人などの大切な人との別れを経験した人などがこうなることもあります。
私はこの恐怖心からくる完全主義は、映画制作においても、これからの人生全般を考えても、捨ててしまった方が良いという考えを持っています。
だから、まず身近な喜びや感動を生活や些細な季節の変化などから感じ取ったりして、作品のテーマにしていくと案外熱中できるものができるかもしれません。それすらできないなら、何かの真似でいいです。
好きな映画やドラマの真似、パクリと思われるようなものは、時として眠っていた創造性を刺激します。何にも作らないより、何倍も何十倍も良いと思います。
手を動かし、実践をする中で、恐怖心を乗り越えることができるのが映画制作の素晴らしさです。
今まで、何人もこうした学生を見ていますので、「まずは作る」ことを目標にして欲しいと願っています。
以上、映画制作の最初の山場と言って良い、シノプシス時の3つのポイントでした。
1アイディアが時間を経てしっくりこなくなる。
2アイディアが嘘っぽく感じる
3アイディアが全く思いつかない
これらを乗り越えて、脚本作りに入ることができればまた違う山場に襲われますが、それについてはまたの機会に述べます。
がんばれ!未来の映画監督!
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