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現代映画教育で必ず問題になること

更新日:5月19日

学生たちの映画制作をサポートしてはや8年目を迎えました。


最初は手探りでしたがなんとか最近になって形になって来たのかなと感じます。


若者の作る映画の質が、「育った環境や性格」に左右されると一言に片付ける向きもありますが、実際のところは一人一人の根本的な心の傾向性に大きく依存することもわかって来ました。


映画制作の世界では、かつてプロとアマチュアを隔てる技術的な溝が実に明確に存在していましたが、この溝は最近になってかなり埋まって来ました。


日々生じる機材やソフトの問題解決法は大体Youtubeなどにありますし、そもそもの映像センスを育むような教材も、特に英語の発信をしている動画などにたくさんあって、それはもう隔世の感があります。


・・・昔はカメラや照明・録音といった技術セクションは特権的に勝ち得た技術にあぐらをかいていた気がしますが、今は誰にでも技術が習得可能ですから、その威厳も低下しています。


撮影の方法やシナリオの書き方についても皆少しだけ労力をかければある程度は習熟できるような時代です。


しかし、実際に映画制作を学生に教えてみると、かなりの割合の学生に技術以前の問題があることがわかります。


彼らは多くの場合、やりたいことがわからないのです。


これは何も私の担当している学生の特殊な状況ではないようです。


数年前、ニューヨーク大学(NYU)のティッシュスクールという有名な映画教育機関のトロープ教授の研究室で映画教育についての意見交換をしていたのですが、彼女も全く同じことを言っていました。


彼女の研究室には中国や韓国出身のドキュメンタリー専攻の優秀な学生が多くいるようです。


教授は学生たちの出自に起因する、独自の問題意識を期待していますが、学校成績だけが良くても映画のテーマを見つけられないのだと教えてくれました。


それは、学生たちが若くなればなるほど、外部環境との強いコンタクトを経験する機会を以前ほど持たずに、保護されて成長してきたからかも知れません。


映画作りにおける強い問題意識は他者と接触することでの逆境、苦境を契機として生まれることが多く、現代でも紛争地帯や社会的問題が強く支配する地域の若者の撮る作品は面白い、と言うことに反論は出にくいでしょう。


しかし、そもそも現代の若年層に逆境、苦境を望むのは酷でしょう。


同様に映画のテーマとなる感動や情熱について考えると、外部との接触で感じた人間や世界の素晴らしさ・美しさに形を与えることで、それをあわよくば永遠の記憶とせしめたいという自然な表現欲が溢れ出て、人は映画作りに向かいます。


映画制作にとって大切なテーマを見つけたり感動を仕入れる先は外部環境と自分の接触によることになるはずです。


映画のテーマは他人の日常を垂れ流したSNSには落ちていないと言えるでしょう。


そんな学生たちに「外部と接触しろ」「行動を起こせ」と言っても迂遠な話に聞こえるかも知れません。


だから私は作品作りそのものを通じて自分以外への関心や愛を育てることを勧めています。


作品作りこそ、一番純粋に、逃げることのできない社会的接触をもたらすからです。逆説的ですが、自分以外に関心が向いたときに、初めて自分が見えてくることが多いと思うからです。


映画作りは人間性が丸裸になるので、人として未熟な場合、そこに予期せぬ問題が生じてしまうのですが、それでも「自分の作品を作りたい」という創造への思いが燃料となり、直面したくない自分の幼さに向かい合うことができるのです。



ニューヨーク大学教授とのスナップ写真
映画教育について

<ニューヨーク大学 Tzipi trope教授と>




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